高安軒について

高安軒とその布教について

納骨堂について永代納骨壇のおすすめ・永代納骨墓
送骨サービス | 魂抜き・魂入れについて宗龍寺御縁起
加藤秀明和尚略歴 

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髙安軒について
昭和2年(1927)8月榮昌庵説教所として開創しました。後に宗教法人申請の折、大乗寺旧塔頭「高安軒」を名乗ることを条件に許可されました。大正年間(1912~1926)に永平寺三代尊の遺骨が発掘、その地主が金沢市内の諸寺院にご遺骨を安置する寺を建立願いたいと申し出るも断わられ、榮昌庵6世石應泰然尼が六斗林にあった榮昌庵の前身「直指庵」を解体し現地に寺を建立しました。現在白山・野々市唯一の曹洞宗寺院として法灯は護られ三代尊のご霊骨は大乗寺に安置されています。

 創建年 正平5年(1350)
 ご開山 明峰素哲大和尚
 開基 富樫高泰
 住職 加藤 秀明
ご本尊 釈迦牟尼仏
 涅槃絵 3月第4日曜日午前10じ半から 
 涅槃絵四万六千日、施食会 7月第4日曜日午前10時半から

 

 納骨堂について
平成18年7月初めに納骨堂を新築しました。旧納骨堂は昭和42年に清水祖田尼和尚が建立されたのは鉄筋コンクリート製の地下室タイプでした。室内は、高湿度でカビが生えやすく階段が急でお参りには向いていませんでした。nokotudoimg「米永の一休さん」で創っていただいたお墓代わりの「永代納骨壇」もカビの増殖と湿気によってとても永く使える状態ではなくなりました。そこで思い切って旧施設を撤去し現在の建物を建立しました。 舎利骨の納骨、お骨の一時預りやペットのお葬式、水子供養にと多目的に利用できるホールと納骨施設に分かれております。土足のまま椅子に腰掛けて参詣できます。冷暖房完備です。カギはかかっていませんのでいつでも自由にお参りできます。バリアフリーで車椅子の方も入れられます。

 

永代納骨壇のおすすめ
髙安軒の納骨堂に永代納骨壇が入りました。この壇は、お墓の後継者が絶える可能性が高い方にお墓の代わりとなるものです。一軒のお家が仏壇(墓のさおの部分)納骨壇(墓のお骨を納める部分)を使います。お参りする方が絶えた後、何年か経過した時に合祀墓にまつられた時点でお骨が土に還るのです。無縁墓になるのを防ぐのが目的ですが、お寺という浄域に最後は骨を埋めて死後の安心が得られます。
永代使用料・・・37万円(仏壇内壮厳道具込み)
年間管理費・・・1万円 nokotudan

代納骨墓
髙安軒の経蔵となりに安置してある観音様の真下はお骨を土に返すために掘り下げられております。この中にお骨を直接撒きます。納骨料は3万円で、永代供養料はご相談です。お墓を建立されない方や納骨壇では抵抗があるという方にお薦めします。 yuimg

 

 

送骨サービス 
髙安軒では、全国から郵送(ゆうパック)による納骨を受け付けています。 納骨料3万円sokotuimage

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魂抜き・魂入れについて
佛壇・お墓は、それだけでは単なる工芸品・石の構造物です。それを礼拝対象とするのが魂入れ【開眼かいげん】です。また、それらを元に戻すのが魂抜きです。念を入れるのが魂入れ、念を抜くのが魂抜き。 古い人形・写真を処分される方は「念」を抜いてあげましょう。 お気軽にお問い合わせ下さい。

 

番外札所・曹洞宗 宗龍寺御縁起
sanmon慶長十七年(1612)小立野宝円寺第四世量山繁應大和尚隠棲して金沢塩屋町に宗江寺を創立す。その後、卯辰山の現在地に移転す。 岡島家の菩提所として宗龍寺と改称。 享保二十一年春(1736)、火災に遭い現遺構はその後、再建されたもの。市内備中町は、岡島備中の守、屋敷跡なり。

花山法皇御縁起
金沢西国三十三観音札所に番外の札所がなかったことから当時二十八世真鍋魯宥大和尚 (門前町総持寺祖院山門等整備に尽くされた)が観音信者の熱望に応えて明治三十八年 十一月に花山法皇尊像を奉安されました。 hanayamasan花山法皇は十七歳で第六十五代の天皇となられ、わずか二年で退位出家された御方です。入覚と法号を執られ、当時荒廃していた西国三十三観音札所をお巡りになり、札所巡札の復興をなされた方です。また、勅撰和歌集とされる「拾遺和歌集」を編纂され、文化・芸術的に斬新な感覚をお持ちでした。
西国三十三観音霊場札所を巡札される方々は御詠歌を誦される訳ですがこれ皆、法皇の御製として唱和し尊敬されております。

宗龍寺の御朱印が、今までは野々市の髙安軒だけでしたが、宗龍寺や栄昌庵の御都合の良い処でもらえます。 ご一報下さい。

宗龍寺では、宗龍寺霊園を開設しました。遭洞宗の方は優遇させていただいております。
金沢市鶯町41-1 宗龍寺32世 加藤秀明(しゅうみょう) 090-7088-3748

 

加藤秀明和尚略歴

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1956年11月11日 サラリーマン生活を経て
1984年6月12日 前田昌範老師に就いて出家得度
1984年9月3日~1987年3月31日 大本山総持寺祖院専門僧堂にて安居(あんご)修行
現在、高安軒、榮昌庵、宗龍寺、三ヶ寺の代表役員住職 曹洞宗北信越管区教化センター布教師、保護司として活動中です。